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●この国の裁判の腐れ具合

 先日(4月27日)、「恵庭OL殺人事件~そのナゾに迫る」という講演会を聞きに行った。きっかけは、日本の司法制度のぶっこわれ具合について、興味があったからだ。

 はっきりと(自分自身に対しても)確かめておかねばならないと思うので書くが、TVと大新聞、いわゆる大手メディアを通して語られるこの国の姿は、ほとんどウソと言ってよい。近頃、前以上にそれが見えてきた。もちろん分かっている人にはとっくに分かっていたことなのだろう。ただし、"権力は腐敗している“とか、”マスコミは駄目だ“などの、抽象的認識では意味がない。具体的にどのようなウソがまかり通っているのかを、ひとつずつ知っていくことが大切な気がしている。
 だからこの足で、出かけていって物を見、人の話を聞くしかない。大きな会社(役所)がやっていることだから、ウソはない、なんてのがイチバンの嘘なのは言うまでもない。私たちはあからさまに、しかも“赤子の手をひねるよう“に簡単に、日々騙され続けているのだ。信頼できる情報をつかむには、だから、ある程度の労力が要る。
 その日の講師は、山口正紀(やまぐち・まさのり)さん、ジャーナリスト。「人権と報道・連絡会」世話人。「週刊金曜日」で「人権とメディア」という連載があり、ちょくちょくそこに書く人なので名前は知っていた。マスコミ報道がいかに普通の人々の生活を脅かしているか、愕然とする事実を彼の記事でいくつか読み知っていた。そういう記事が書ける、数少ない気骨あるジャーナリストの一人、と僕は認識している。
 で、この日のお話は、いわゆる「恵庭OL殺人事件」に関して、彼がジャーナリストとして事実を拾い集めて行く中で、いかに一審二審の判決が目の前の事実を無視しているか、ということだった。山口さん語るに、「前代未聞の冤罪事件」ということだ。前代未聞の意味は、冤罪とはどんな国どんな時代にも多かれ少なかれあるもの(だから司法は公正な手続きを心がけねばならないのだが)、にしても、ひど過ぎる、ということだ。事実を無視した裁判もひどいが、警察・検察・裁判所が結託して、ありもしなかった“証拠”をでっち上げているとしか思えない、きわめてズサンかつ恣意性の高い(いや意図的と言った方が事態をよく説明している)裁判、法廷の権益的利用としか思えない裁判なのだ。この積極的かつあからさまな証拠の捏造が、彼の言う「前代未聞」のキモだったと思う。
 僕も、山口さんが言う「真犯人は他に居て、この冤罪裁判の成り行きを、笑いながら見ているはず」という意見に賛成だ。だからこの事件を、「恵庭OL冤罪事件」とこれから呼びたい。殺された女性もOL、現在容疑者とされている女性も同僚のOLだったのだから。
 なぜそんなことに首をつっこむのか?と感じる人に言いたい。たしかに容疑者の女性個人のことは、僕とは直接のつながりがないし、面識もない。その人個人に関心を持っているわけではない。しかし、このような極端な冤罪が成立するということは、日本の裁判の劣悪化であり、それなりにあるかのようにも見えた日本の市民社会の瓦解だと思うからだ。ある日ある時偶然に、事件周辺の騒ぎに巻き込まれたあなたが、あるいはあなたの家族や友人が、犯人でもないのにマスコミから追われ世間のさらし者にされ、容疑者として人権を無視した捜査をされ訴訟され、犯人ではないことを示す有力証拠はことごとく無視され、どこから出てきたのか不可思議な“新証拠“がでっち上げられ、ついには死刑にされる。
その不公正を押しとどめるための仕組みは、建て前としては“裁判”という名前で運用されているにもかかわらず、実際は全く機能せず、事実すら無視して突き進む。メディアがこの暴走に加担し、ニュースをエンタメとして享受する人々も、愚かさにおいて同等の加担を行なう。なんのことはない、これはメディアを使ったリンチである。とても裁判などと呼べるものではない。
 あなたが、何もしていないのに、死刑にされる。そういう国。公開リンチが公然とまかり通る国。そういう場所に僕が住んでいるということが怖い。これはだから、自分の問題なのだ。
 硬い文になってしまった…。だがこの怖ろしい状況を、そうだと認識している人が少なすぎるのがさらに恐いと思っている。
 講演会のあと、主催者(自由学校「遊」)から感想文の執筆を頼まれた。短い字数の中で、この日のお話から受けたインパクトをどう表現しようか、それなりに悩んで書いた文章が以下である(「遊」の定期発行物に掲載)。

-----------↓原稿ここから

もしかして、「恵庭OL冤罪事件」のマチガイですかぁ!?
――山口正紀さん講演会<恵庭OL殺人事件~そのナゾに迫る>を聞いて

 現実に起きている事件を、まるで推理小説のように扱うのは、もちろん不謹慎なことだ。が!それを承知の上で、あえて二つのストーリーを比較してみてほしい。そう、探偵のように、与えられた条件の中で、心静かに推理してみてもらいたい。
<ストーリー1>あるOLが、三角関係のもつれから、同僚のOLを一人で殺して焼いた。
<ストーリー2>ある男達が、女性を強姦して殺し、証拠隠滅のために焼いた。
 上記<1>は、警察がマスコミを通じて、繰り返し繰り返し世間に流した、聞きなれた物語だ。<2>は初耳の人が多いだろう。では、以下の事実をあなたはどう思うだろう?
・死体焼却現場には2台の車が止まっていた(目撃証言、複数あり)。
・死体の下半身は、内蔵がえぐれるほど焼かれ、炭化。足は開脚していた。
 この2点だけで、少なくとも<2>の可能性を十分検討する必要があるはずだ。ところが、司法解剖の鑑定書には、当然記載されるべき、精液の残留に関する所見がなかったという。えっ…? 他にも、<1>の流れでは意味不明な出来事が多々ある。たとえば、事件翌日、被害者OLの携帯電話が会社のロッカーからみつかる。果たして<1>の犯人にとって、わざわざそんなことをするメリットがあるだろうか?
 多くの人に「変だな…」、と感じて欲しい。ジャーナリスト・山口さんの口から語られた奇妙な、そして<1>ならば整合性のない事実は、まだまだあってとても書ききれない。この裁判は、事実関係の矛盾に満ち満ちている。興味を持った方は、さらに事実のピースをつなぎ合わせてみてほしい。裁判員制度が近い将来実施されれば、同様のことを市民もやらなければならない。たしか、「ふつうに考える力があれば誰でもできる」と市民向けに説明されている制度だったはずだ。この講演会を聞いた僕は、ふつうの判断でふつうに思う。一審、二審の判決は、著しく合理性に欠く、と。
 なにより問題なのは、これほど矛盾した裁判が公然と行なわれ、世論が反応しないことだ。マスコミの尻軽な加担も責任が重い。だが山口さんは、この事件を「前代未聞の冤罪」と呼ぶ。マチガイから生まれた冤罪などではなく、裁判所・検察・警察が、がっちり利権のスクラムを組み、積極的に冤罪を作ろうとしているようにしか見えない、恐ろしい裁判だからだ。つまりそれは、あからさまな司法の腐敗と、“市民社会”の瓦解を意味する。
 だまし絵は、<1>にも<2>にも見える。だが、事実を確かめよう。

-----------↑原稿ここまで

 事実の数々が、どのように判決と整合性がないのかは、ここでは書かない。山口さんの記事より上手に説明できると思わないからだ。また、煩雑な事実のピースを照合することは、ある程度興味がないとややこしい単純作業に感じられるだろう。でも、たとえシロウトが考えたって、こんな判決になるわけがない(むしろ本来調べるべき方向性が意図的に手抜きされている)と思うこと請け合いなのだ。
 僕がここで強調したいのは、マスコミの「だまし絵」効果(今勝手に名付けた)についてだ。恋愛がらみの怨恨殺人というシナリオを、当初マスコミは盛んに報道した。そういう印象を持って遠くから眺めていれば、「そういうもんだ」という先入観から誰も抜けられない。

ルビンの壺

 だまし絵の「ルビンの壺」は誰でも見たことのある図だが、壺だといったん思い込んでしまえば、壺の絵にしか見えなくなる。しかし、別の見方ができないか?と考え、再度図に集中すると、違う絵も見えてくる(かもしれない)。この脳みその切り替え作業は、自ら意図しないとできない、一手間かかる作業だ。しかし人々は日々の生活に忙しく、ひとつひとつの事件をきちんと考察したり捉えなおしたりするヒマなど、ほとんど持っていない。だからマスコミの流した情報をそのまま信じてしまう(たとえ批判的に捉えているつもりでも)。警察→検察→裁判所は、この流れを積極的に利用し、“司法の権威“なるものを維持しているつもりになっている。しかし実際に行なわれているのは、マスコミに追随する愚集ども(我々)の劣情に媚びた、”死刑”という名の集団リンチ殺人なのだ。真犯人だったら、笑いがこみ上げてきて仕方ないことだろうと思う。
 この異常な状況を何とかするには、少しずつでも、「この状況は異常だ」と気づく人が増えていくことがベースとなる(と思う…)。
「恵庭OL冤罪事件」の異常さは、この国の裁判の腐り具合とパラレルなのだと思っている。

※関連サイト 恵庭冤罪事件被害者支援会
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