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●「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日」

「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日」を見た。

 FNSドキュメンタリーで9月20日深夜(=21日)放映されたこの番組で、はじめてこの事件についてのマトモな報道をTVで見た気がした。
光市母子
(↑番組の一部から抜粋)

 FNSドキュメンタリーで9月20日深夜(=21日)放映されたこの番組で、はじめてこの事件についてのマトモな報道をTVで見た気がした。

 カメラは、弁護団に密着しながら裁判の流れを追っていく。だが決して、加害者/被害者のどちらかに味方するような類のスタンスではない。焦点は、この裁判に反応した”世間の人々のバッシングの有様”にある。事件と裁判の流れを検証しつつ、裁判に対する世の中の反応をこそ観察したドキュメントなのだ。

”弁護すること自体が鬼畜の業だ”とばかりに沸騰した世論。また、それをより感情的に煽ったマスコミ。そうそう、いまや地方政治家になったH弁護士も忘れてはいけない(さらりと登場する)。
 被害者家族を撮影しようと、出廷や退廷の隙を狙ってマスコミが群がってくる。彼らが本当に被害者家族の心情を慮(おもんぱか)って行動していると言えるのかどうか?――この番組で確かめてみるといい。

 だが結局、つまるところこの番組の本当の主人公は、弁護するという行為そのものをたいそう熱心に非難した、数多くの市井の人々ではないかとも思う。”不特定多数”の彼らの顔は映らない。映るのはただ、彼らの劣情をそのままに表現した呪詛の文言――それらが書き込まれたハガキや封書の文字までだ。いや、同封されたというカッターの刃も。
 この番組では、彼らは不可視の存在なのだ。

 くりかえすが、加害者/被害者のどちらかに味方するという類のスタンスで描かれたドキュメントではない。

 ニュース映像として残る、被害者家族の悲痛な叫びも当然出てくる。一方で、やたらと扇動的に裁判を報じた数々のワイドショーの中ではほとんど扱われなかったという、被告側=弁護団の主張についても、特に事件の細部に関しては、きちんと描かれる。原告/被告の主張の違いがどのような点にあったか、偏りなく報道したTV番組を僕は初めて見た。
 残念なことに、もう裁判は終わっている。だが、今更とは言うまい。

”報道の中立”という言葉がたとえ幻想だとしても、両方の主張を当分に報道するくらいの番組が、なぜほとんどなかったのか? 視聴者の劣情に阿(おもね)る番組作りは、”数多くの論点を生み出す”ということに、つながったためしがない。
 この国のマスコミには、様々な角度から論点を見出し、その中から重要なものを整理するということを遂行する能力が無い、としか思えない。視聴率を稼ぐ煽りに乗って、各局同じ事をより露骨に表すという、意味の無い勝ち馬乗り競争がこの国の報道だ。

 ただ、すでに最高裁判決も出た後ではあるけれども、この番組は例外的に、双方の論点を平等に提示した。
 また加害者青年の、非常に過酷な、あまりに極端で悲惨な(と言わざるを得ない)運命についても、この番組では触れている。長期に渡る父親の暴力、耐え切れず自殺した母親、その死の有様を12歳で目撃してしまったこと、などなど…。
 この部分だけは、ある意味で弁護側に情報が偏っているかもしれない。だが、これまでの、あの、検察側に有利なセンセーションの物量に比べれば、この偏りは千分の一にも満たないだろう。

 再々度くりかえすが、加害者/被害者のどちらかに味方するという類のスタンスで描かれたドキュメントではない。

 被害者に味方したくなる人々の気持ちは、もちろん理解はできる。だが、ただただ同情して味方することが、被害者の助けになるとは僕には全く思えない。同情とは、自分の都合のいい錯覚に陥りがちな感情だからだ。同情そのものがすべて悪いとは言わない。そんなことはない。だが当事者の苦しみを代わってあげることは、ついに誰にもできない。そこを忘れてしまうのは、大変失礼なことである。

 当事者とは異なる立場で、何をすることが被害をいくらかでも和らげるのか、それを考えるのが本来周囲の役割だと思う。それを忘れて感情的になっても、誰の助けにもなりはしない。感情を発散させた本人は満足できるのかも知れないが、それは被害者を無視しほっておく行為にひどく似ている。
 それとも、マスコミも、また、当時弁護団に怒りの手紙を送った多くの人々も、最高裁判決が死刑と分かれば、「はい、終わった、終わった」とばかりに風のように去ってしまうのだろうか。もしもそうなら、それこそがある意味で、もっとも卑劣な行為ではないだろうか。

 正直僕は、裁判という制度への日本人の理解度の低さにも驚いた。(近頃は、驚くことにも飽きるくらい驚き続けてもいるのだが。)日本人は総じて、人がいい、あるいは同情心がある?のかも知れないが、その実とても短絡的で、冷静に自分の役割を熟考する力を欠いている。
 おそらくは正義感を発揮したつもりで行動した多くの人々――弁護団へのバッシング・ブームに乗り、懲戒請求を提出した人など――は、いったい何をしようとしていたのだろうか? 僕はその辺りが分からない。

 ドキュメンタリーから離れて、個人的な感想をいくぶん冗長に述べてしまった。いずれにせよ、考えるべき素材の多い事象であった。

 この作品は、今回起こったことを少しでも冷静に振り返るための、良い素材になっている。特に、この作品自体マスコミから発表されているにもかかわらず、ある程度のマスコミ評論にもなっているのが興味深い。マスコミには、自浄も反省も不可能と思っていたので、その点は評価したい。
 ただ、多くの日本人が取った行動が、被害者のためにも、また加害者のためにもほとんどなっていないということを考えたときに、この番組がもしも1年でも2年でも早く放映されたらどうだったかを、つい思わざるを得ない。そんな意味でも、ニュース報道に関わるマスコミの人にこそ、見て欲しい番組だった。


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