スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

●好き嫌いの話。同調圧力礼賛思考停止馬鹿=森田健作が嫌いだ。

正直に言うが、まず何より森田健作が嫌いだ。
ふつう、嫌いな人間は相手にしなければよいだけだが、
政治家となると事情が変わってくる。

もりけん

また、ただ好き嫌いの問題を越えて、
民主主義という制度を根本的に毀損する行為があったなら、
それは放置しておくわけにはいかないだろう。

森田健作が「完全無所属」だと連呼して当選しておきながら、
自民党の役員をやっていたり、献金を受け取っていたりしたことが、
一部市民の批判を浴びているが、
僕の好き嫌いの問題とはまた別に、検証すべき事態だと思っている。

検察は、小沢秘書逮捕が国策捜査ではないと主張するのなら、
平等な目線でぜひ森田周辺の捜査を、
強制的な手段を含めて、おかしな躊躇を見せずに、
ぜひ実行してもらいたい。

テレビでは識者のコメントとして、
岩井とかいう大学の教授が、
”政党からの公認をもらっていなかったのだから、
無所属と名乗るのは法的には問題ない”
という意味のことを述べていた。
法律論議は厳密さが必要だから、もしかしたらそうなのかも知れないが、
テレビのコメンテーターは最近、
なんらかのバイアスがかかった人しか採用されない傾向があるから、
別な法律専門家の意見も聞いてみたい。

だが、いずれにせよ同義的責任は残る。

あなたの知らない候補が「僕は無所属です!」と叫んで、
そこから多くの指示を得て当選したとしよう。
当選後、その人が某政党の役員として(選挙中も)活動しており、
お金も億単位でたっぷりその政党から受け取っていたとしよう。
こういう人間を、人として信用できるだろうか?

僕はできない。

市民感覚として「こいつは嘘つきだ」と単純に思う。
これで取り締まれないのだったら、法律の方がおかしいと思う。
あくまで、感覚的に言っているだけだが。

法律論議とはまた別に、同義的には、
選挙においてこのような、一般の市民感覚を手玉に取った騙しは、
すでに地に落ちている政治への信頼を、さらに貶める。
法的にばかりでなく、多面的に検討すべき問題だ。

さてここで、好き嫌いの問題に、あえてもどる。

そもそも政策についてたいした勉強もしていない、
元気だけよく、声だけ大きく、知名度だけ高い、
テレビタレントを当選させる民度こそが問題なのだ。

その地域が抱えている問題について、
きちんとした政策論議ができる人間を当選させる、
そういう国(あるいは地方)にならないと、
顔だけ売れている政治家がはびこるようになってしまう。

タレントという職業を否定するものではないが、
TVで見知っているから入れる、という投票行動はやめるべきだ。
その人が何を考えているか、
よく政策を練っているかどうか、
多くの意見を聞く能力があるか等、
チェックして、投票してほしい。
(と、ここに書いても、テレビしか見ない”B層”は、
人気投票を止めないのだろうが。
悲しいことに”B層”は確実に存在する。)

われながら、いかにも青い話をしているな、と思いながら書いている。
たしかに青い。
だけど選挙民が馬鹿すぎる。

僕の住む北海道にも、松山千春という歌手がいて、
本人の自由ではあるが、政治に色気を出している。
こんな人物が選挙でもしかして知事にでもなったりしたら、
正直僕は、北海道から出て行くことを真剣に考えたい。
(同時に、北海道人はそこまで馬鹿ではないと、信じたい。)

ちなみに、松山千春がこれを読んで、もし不快に感じたら、
こういう人間をうならせるくらい政策について勉強し、
筋の通った、またバランスの良い主張をして実力を見せればよい。
政治家としての実力があれば、たとえ有名人であっても認める。
僕にとっては、芸能、スポーツなど、
他のジャンルで有名であることは、むしろ政治家としてマイナス要因だ。
それは単純に経験的な判断だ。
政策通のタレント議員など、聞いたことがない。

森田健作は、千葉県庁の職員に対して
「こいつのお手並みを拝見してやろう、そんな職員は要りません。
よし、森田と一緒になって、やってやろうじゃないか。
そういう人がほしい」という意味の演説をしていた。

これを聞いて、馬鹿じゃないかと思ったのと同時に、
「校長先生の演説」という悪夢を思い出した。

官僚は、トップが誰に替わっても、自分の好き嫌いとは関係なく、
制度や法律に基づいて粛々と平等に働けばよい。
やる気を出すなとは言わないが、
主義主張で仕事のやり方をコロコロ変えるのは困る。
だから森田の言っている訓辞はおかしい。
それより以前に、職員が自然とやる気を出すような
方針をまず示すのが筋だろう。
何を考えてるか分からない奴を前に、やる気を出せる人間がいるのか?

また、
やる気とか、誠意とか、みんな一致団結してとか、
とにかく(根拠不明な)精神論から入る訓辞は、
小中学校を通して朝礼などで、何度も繰り返し聞かされた気がする。
長ったらしい話を朝から聞かされる、苦痛の日々を思い出す。
貧血で倒れる生徒もいっぱいいたっけなぁ。
精神論を前面に出す輩は、どんなジャンルの人間でも全く信用できない。

そりゃ、仲良くしないよりしたほうがベターだし、
必要なら団結もしたほうがいい(場合もある)だろう。
しかし、それは最初に提示されるべきものではない。
このあたり、「団結」「やる気」「協力」と元気に連呼する馬鹿が、
なんとなくいい人に見られてしまうというのは、
日本社会の病巣のような気がしている。

協力することを無条件の前提にされてしまうと、
特に協力しなくてもいい、個人の自由の領域がどこにあるのか、
誰も考えないので、分からなくなってしまう。
結局、個人の選択よりも同調圧力の方が優先するような、
バランスの悪い世の中につながる?

だが、これだけ複雑化した世界で、
価値観がぴったり一致することはほとんどないし、
他人と関係なく自分の好みで過ごす時間だって、
誰だって欲しいのではないだろうか。
その方が健全な感覚ではないだろうか。

その上で、協力しなければ回らない領域がどこなのかを
互いに考えながら絞っていくべきではないのか。
(医療なんか、その典型だろう。)

なにせ好き嫌いのことを書いているので、
あまり論理的ではない。
感覚的なことを書いている。
でも、それだけ森田健作的な
能天気団結馬鹿、永遠青春馬鹿、同調圧力礼賛思考停止馬鹿、
の感性が心底嫌いなのだ。これは昔っから、子供の頃から嫌いなのだ。
それは、僕にとって、
暑苦しいうっとうしい世の中につながる、
気持ちの悪い感性だ。

正直、森田を当選させた千葉県民のセンスを疑っているが、
考えてみれば日本中をタレント政治家が覆い尽くす日が
もしかして近づいているのかも知れない。
そしたら僕が日本から出て行くことになるのか?

そんなことが簡単にできる準備も才能もないけれど、
隣人の感性があまりに信じられないというのも、
これはこれで、つらいことには違いない。

テレビなんか見るな!見ても信用するな!

気分で言わせてもらえば、そういうこと。
テレビを信じてると馬鹿になる。
これ、確実。

スポンサーサイト

コメント


コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://yukky0ape.blog62.fc2.com/tb.php/128-699b6ea5

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。