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●「ガーダ パレスチナの詩」感想文

 昨日(10月16日)教育文化会館@札幌で見ました。監督の講演も上映後ありました。以下、稚拙ながら感想文です。
※「ガーダ パレスチナの詩」HPはここ

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 パレスチナ、という言葉を聞くと、「ああややこしい」「よくわからん」と思いませんか?僕もそうです。ニュースの解説や、パレスチナ関連の番組を見ても、糸がもつれにもつれて毛玉になった状態みたいに、聞けば聞くほどややこしくなる、そんな気分を持ってしまうのは僕だけでしょうか。



 たいていの日本人にとっては、「なんかよく分からないけれど、しょっちゅう紛争している地域」、そんなイメージなのでは。世界情勢に関心を強く持っている人や専門家でなければ、発言するのも難しいような空気が、このあたりには漂っています。

 僕もたいして詳しく知っているわけではありません。

 そんな中、伝わってくるニュースは、血で血を洗うようなテロや軍事衝突のことばかり。なんでまた、そんな状況が続いているのかなと思っては見るものの、明快な解決の方向性は、識者の話を聞いても一向に見えません。911以降はさらに、イスラム原理主義者の自爆テロのイメージと、パレスチナの長い長い紛争とのイメージが重なって見えてきてしまう部分がたしかにあります。(僕自身は、911という世界的陰謀がイスラエルとアメリカの裏関係に強くからんでいるらしいことを知り、遅ればせながらイスラエルとパレスチナの関係を、少~し学び始めた程度の段階です。)

 妙な言い方かも知れませんが、ある意味、それで仕方のないところもあると思います。遠く離れた異国の地。自然も歴史も文化も、まるで違う人々のことを、簡単に「分かる」とは言えない側面がたしかにあります。

 ところが、この映画を見ると、ものすごくフツーに「分かってしまう」ところがあるのです。

 パレスチナ、という単語を一度忘れて、とある外国の”普通の人々”の日常を見るドキュメントだと思って見るといいと思います。とりあえず、まずは。
 そう考えれば、世界中のどんな国、どんな街に暮らしている人にも、その人の感じ方・考え方があり、その人の生活があり、伝統や文化があり、新しい世代と昔の習慣との葛藤やズレがあり、仕事があり家族や友人があり、そういう意味では、やっぱり同じ人間。何も違うところはない、ということがスンナリ見えてきます。

 たとえば、主人公のガーダは知的な女性なので、親の世代の因習に反発したりもするのですが、働いて結婚して子供が生まれて…という彼女の人生は、何も特別なものではありません。ガザ地区で農業をずっと営んで来た初老の夫婦など、まるで日本の田舎のお爺さんお婆さんみたいな印象なのです。農夫として、一生懸命作物を作り収穫し、素朴に生きてきた人なのだと、彼らが話し笑い歌い食べ踊る姿を見ていると分かります。”お百姓さん”という言葉を、僕は思い出しました。

 その共通点の上に立って、彼らが直面する政治的軍事的問題を眺めてみると、ほんの少しですが薄紙を剥ぐように、自分らの認識が変わってくるような気がします。
 彼らが営んで来た生活は、ホント、人間として普通のこと。しかしそれを阻む現実がある。自爆テロを実行する人の気持ちが分かる、とは言いませんが、そこに突き進んでいく状況について、少し理解が深まったような気がします。(もちろん、そんな行為が必要なくなる状況こそが、一番求められていることだと思うのですが。)

 この映画は監督の古居みずえさんが「12年間で撮りためた500時間」の映像から完成させたそうです。まずその膨大な作業だけでも大変なことですが、彼女が取材したガザ地区が、簡単には出入りできない、国際政治的に特殊な場所であることを考えると、真に命がけの取材だということが分かります。
 にもかかわらず、映画は、人間肯定的というか、普通の生活を求める人の力に溢れているというか。争いで多くの人が血を流しているのに、不思議なことですが、生きることへのパワーに満ちているのです。

 本当にすごい映像は、”いかにもすごい”という姿をしていないものではないでしょうか。そんなことも思いました。
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