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●「それでもボクはやってない」を見た。

 札幌での封切りは3月16日で終わりだと聞き、昨日(14日)急いで行って来た。場所はJRタワーのシネコン。12:50からの上映ということで、すいてるかな~と思って行ってみたら、あれ?――意外にも昼間なのに六分くらいの入りで、これは案外客が来てるぅ~、と驚いた。すると夜の回はもっと入っているのかな。すごいすごい。

 そう。周防監督のすごいところは、多くの人を引きつける共感度の高さなのかな。かと言って、媚びた安っぽさがあるわけではないし。
 「日本の裁判制度の矛盾」を追及した映画、などと聞くと、硬い社会派の映画に一瞬思っちゃうが、これがちゃんと最後まで飽きずに見れるんだな。むしろ、緊張感を保ったままはらはらしながら見る、そういうエンタテインメント性が確かにあった。これを機会に、日本の警察・司法のオカシサについて、深く関心を持つ人が増えるといいな。

 まあ、内容は”痴漢冤罪”の話なワケで…。

 以前から、警察の取調べの密室性の問題や、検察と司法の癒着にも思える有罪率99%の馬鹿馬鹿しさなど、ある程度知ってはいたが、やはり映像は説得力があった。容疑者というのは本当は罪人ではないわけで、疑いをかけられてはいるものの、まだ一般市民のはずだ。それなのに完全に人権無視の悪者扱い。現実にはこんな処遇を受ける、ということがすごくひしひしと具体的に伝わってくる。これはやりきれないわ、冤罪だったら。

 どうも日本人の意識の底には、裁判=お白州みたいな感覚が残っているのかも知れない。素朴な庶民感覚としては、「裁判に関わること自体が非日常」であり「ふだんから潔白な自分にはあずかり知らぬ世界」あるいは「関わるべきでない世界」と感ずるのは、(何歩か譲って)分からないでもない。だが実は、そもそもそういう問題ではない。裁判というものは、世の中の制度であり、その運用は、(もちろん権力側の意図があるのは当然として)市民全体に役立つものでないとオカシイ。――青臭いこと言ってるなと自分でも思うが、司法の門外漢である自分は、敢えてここからスタートしたい。

 この映画を見て、日本の裁判の実情をまるで知らなかった人には、「こんな非常識な制度がまかり通ってるなんて!」と、大いに驚いていただきたい。まだまだこんなモンではありませんですゼ。

 周防監督は、外人記者クラブのインタビューでこんなことを言っている。「外国でこの映画の試写をするたび、見ている外国人があちこちで笑い声を上げる。日本の裁判制度のオカシサを表現しているのだからそれは当然なのだが、笑われるたびに、まるで自分が笑われているように感じた」と。(正確な引用ではなく、記憶で書いている。)
 このオカシナ制度とそのオカシナ運用をきちんと改めていかないと、日本に本当の市民社会の風は吹かない。もちろん大変手ごわい作業ではあろうが、まずは一般の我々の感覚から改めていかないとならない。いや、言い方がよくない。我々の常識的感覚に沿うように、裁判が改まってもらわないといけない。そのためにこの映画を見ることを、大いに薦めたい。こちらが改めなければならないのは、”オカミはきちんとやってくれているはず”という、根拠のない漠然とした感覚の方だ。

 ところで、この映画に関して、「冤罪を語るのはもっともだが、なぜ題材が痴漢なのか」という声が上がるのも、それはそれで肯ける。女性の立場であれば、せっかく痴漢が憎むべき行為として社会の常識になってきた昨今、男社会、いや、オヤジ社会がまたスウィング・バックしても困る、ということも確かに観点の一つだ。たとえば、この映画を見た本物の痴漢が、無罪を主張するようなことが起こるとも限らない、とか?

 ただ僕はこう思う。痴漢行為はそれはそれで社会問題だ。だが、冤罪も大きな社会問題だ。それとこれとは別なのだ。僕はこの映画が、”痴漢””冤罪”を扱ったせいで、「ワタシは真面目で潔白な一市民です、裁判に関わるなんてワタシの人生でありえません」という意識の方々にも、おおいに問題意識を持ってもらえたのではないかと思う。誰もが身近に感じられる素材として、切り口の選択が秀逸だったと思うのだ。
 その上で、痴漢という犯罪行為をどうすべきかは、どんどん論じていくべきだと思う。

 警察・検察も、裁判所も、本当は有能な人たちが混じっている世界なのだろう。困難な現場の中、良心的に仕事を進めようと努力している人は、必ず居るものだ。だが、システムの不備や、長い間の慣習に基づいた意識の古さが、日本の裁判の水準を世界の笑いもののレベルに貶めている。

 そして一般人も、本当はもう少し注目しないとならないのだろうな。客観的な判決を出す裁判官の名前を覚えて応援したり、偏った判決を出す裁判官を非難したり、もっともっと衆目を集める必要があるのだろう。大事なのは、胸のすく判決を下してくれるか否かではなく、どれだけ事実に基づいた判断に徹してくれるか、だ。(このあたり、日本人がどこまで冷静にウォッチングできるかかかなり心配あり)。判決の行方もたしかに興味深いが、裁判という権力システムが横暴な作動をしないかどうかこそ監視する必要がある。

 ここまで書いてみて、なんだかちょっと偉そうですね。そんなことやれるヒマがあったら、やってみたいのだけれど、大変そう~。でも映画は良かったよ。
 蛇足。(経済学者の)植草先生の痴漢事件が、いかに冤罪の疑いが濃いものか、これで少しは気づいてもらえるだろうか。そう。権力側にとって、デッチ上げ工作がとても簡単な分野だということだ。
 今度、傍聴ってのをやってみようかな…。
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