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●安田弁護士の著作を読んでみた

先日このブログに、一日だけ1000件以上のヒットあり。
その後2、3日で10件くらいに下がる。(これがふだん通り)
どうやら以前安田弁護士のことについて書いた過去記事を
見に来た人がたくさん居たらしい。

だからと言うわけではないのだが、
思い出したように、
安田氏の著書を読み出す。
この本、買っておいて、まだ開いていなかったのだ。

「生きるという権利-麻原彰晃主任弁護人の手記」

アマゾンのレビューも、
★1つと、★4~5個に分かれている。
だが、内容についての賛否両論と言うより、
安田氏に対する感情的な反応の違いのような気もする。
もちろん違いはあっていい。
あっていいのだが…。

裁判というものが、何なのか、ということは
お互いの見解の相違とか、そういうことではないと思うのだよなあ。
本来、裁判が果たす役割って、理想論だとしてもあると思うし、
それを踏まえた上で日本の現状がどうなのか、ということは、
皆、認識し、考えないといけないことだと思うのだが。

僕自身も司法のことはシロウトだが、近頃、どうも思うに、
日本人は裁判を「真実が明かされる場」と思っているような気がする。
もしかして、役人が、公僕というより「お上」であるように、
裁判は、日本人にとって、いまだ「お白州」なのだろうか!?

素朴な感覚として、もし、そう受け止めているいる人が多いのだとすれば、
ウ~ン、それは違う、と言わねばならない。
違う、というより、ゼ~ンゼン制度を誤解している、ということになる。
(自分もどの程度分かってるか、と言えば、それはそれで自信ないが)

裁判で争われるのは、(本来は)事実ではなかったろうか?
もちろん、真実が分かればそれに越したことはないが、
その場に居合わせた本人でない以上、
真実は永遠に分からないのだ。
むしろそれが前提のはずだ。

しかし、事実を究極まではっきりさせることは、
努力すればできる(部分もある)。
その行為を通じて、
真実と考えられることは、こっからここまでの幅の中にある、
と、可能性そのものを限定していくことは
ある程度できるだろう。
しかし、可能性を最後の最後まで絞り込むことはできない。

それが前提だとするならば、
裁判で僕ら一般人が見るべきことは、
真実うんぬんではなく、
ましてや教訓でもなく、
権力がどのように裁きを行うか、
その手つきなのだ。

いい加減な証拠調べで、
適当に事実をごまかし、
恣意的な裁きを行っていないかどうかを監視するために、
裁判は(原則)オープンなのではなかったか。
推定無罪などの考え方も、
そういうところから導かれるのではなかったか。

実はその意味では日本の司法は
とっくに終わっているのだ。
事実を無視した冤罪のオンパレードだ。
冤罪まで行かない事件でも
「悪いことしたヤツぁ、吊るせばいんだ!」的な判決が
あっちこっちでまかり通っているらしい。
ましてや警察の証拠でっち上げや、
検察の証拠隠しは決して裁かれないシステムになっている。

確実な証拠が新たに出てきても、
再審されない裁判がたくさんあるのはご存知だろう。

もちろんどこの国だって、
理想的な裁判が常に行われているところなんて無いだろうが、
程度というものがある。(いや、品格と言ったほうが流行りか?)
日本の裁判は、三等国家レベルではないだろうか。

もちろん、真面目に仕事をしている司法関係者も
多数いるだろうことまでは疑ってはいないが、
事件が、こと権力中枢に及ぶような事件だったり、
警察の面子に関わるものだったり、
判断が難しいものだったりすればするほど、
どうやら裁判の原則を無視しきった判決が
まかり通ることが多いようだ。

映画「それでもぼくはやってない」で例証されているように、
警察・検察・裁判所&政府が
がっちりスクラムを組んだ恐怖裁判があり、
それに拍手を送る人々がいる。
それをあおるマスコミがある。

悲惨な事件の被害者に味方する気持ちは分かる。
だが、一番怒り悲しんでいるのは当事者なのであり、
周りがそれを追い越して怒り狂うというのは、
とても奇妙な光景である。

また、被害者に見方もするからこそ
事実をきちんと知りたいという気持ちにも
本当は応えねばならないはずだ。
その意味においては、検察も弁護も裁判所も
本当は矛盾無く協力すべきなのだが、
現状はほど遠い。

犯人憎しで、皆がマスヒステリーの炎を上げているその背後で、
権力側は着々と、
自分らの都合の良いようにシステムを作り変えて行っている。
「もっと怒れ、もっと正気を失え」と
マスコミを使って煽っているようにも思える。
たとえ意図的でないとしても、
今この国で怒っていることは、そういうこととほぼ同等だ。

安田弁護士の意見に、僕は何でもかんでも賛成するつもりもないが、
この本を読んで、
いかに裁判というものに生々しく権力の動きが現れるものか
その一端だけでも分かった気がする。
権力って、やっぱり怖ろしい。
何をするか分からないものだと思う。
「お上」どころか本質はやっぱり、「リヴァイアサン」だ。

現実の事件なので、こういう言い方は不謹慎になるが、
事実を争う安田氏の姿勢から、
まるでミステリーのように興味深い部分があちこちにあったのも事実だ。
だから一気に読んでしまった。

安田氏を嫌いな人も読んでみるといい。
日本の司法がどの程度のものか、皆が知る必要はあるのだから。
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コメント


光市の事件に関するマスコミ報道のひどさはどうしようもありません。
弁護団の主張ぐらいちゃんと伝えてほしいですね。
せめて、検察の言っていることが遺体の鑑定書と食い違っていることぐらい知らせるべきです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/column10-kantei.htm
でも、この鑑定書が差し戻し審で採用されるかどうか危ういらしいです。
これじゃ暗黒裁判と言ってもいいと思います。

証拠無視のいわゆる『暗黒裁判』というものには確かに危機感をおぼえなければならないが、「バランスのとれた報道を」さんが言う鑑定書の食い違いの検討がなされたところで(というより事実と異なるなら鑑定書の採用は当然行われるべきものだが)、この容疑者が被害者宅に侵入して人間二人を殺して死姦したというのは紛れも無い真実なのだからそれと絡めて弁護士を擁護する人はおかしい。
裁判が公正に行われることへの監視の目をひからせることと、疑う余地の無い殺人犯を信じられないような屁理屈で減刑しようとする弁護士を擁護することは別問題。被告が「やってもいないのに証拠を捏造されて殺したことにされている」というのでなければ死刑で当然。弁護士の仕事はなりふり構わずにクズでも救うことではなく、「不当に」罪を着せられたりした場合に被告を助けるものであるはず。

変な理由があれば許されるのか、もっと事実を見て、社会正義の観点で判断すべき。

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