スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

●ユッキーの個人ツアー1日目「平和省地球会議 東京シンポジウム」

個人ツアー一日目は、東京代々木、 国立オリンピック記念青少年総合センター。

何しに行ったかと言うと、「平和省地球会議 東京シンポジウム」というのを見に。

平和省 東京シンポ


観客は100人ほどの、そう大きくはない催しだったが、
続いて京都、広島、長崎、沖縄と、このシンポジウムは戦争の聖地を巡る予定になっている。

「ユッキーはまた、何をとち狂って」と思う人もいるかも知れないし、
「ふ~ん」と様子見の人もいるかも知れないが、
僕としては、
「戦争を止めろ!」ではなく、
「平和をふだんから積み上げる」という発想は、
まだしも未来につながるのではあるまいかと思ったのは事実だ。

もしかして若干過剰な期待?を、昨年から僕はこの企画に持っていた
というのが正直なところ。
(過剰というのは、こちらが勝手に抱いた、という意味で)

実は手伝おうかと思っていたくらいなのだが、
それは結局、今年自分が忙しくなって、無理だった。

世界中、とは言わないまでも
世界五大陸の二十数カ国から平和省運動に関わっている人たちが集まり
5日間ワークショップを行い交流を深める、
というやりかたで世界を回って、今回日本で3回目。
ネパールとソロモン諸島にはすでに平和省があるそうで、
軍隊を持たないことで有名なコスタリカも、もうすぐ平和省が出来そうだ、とのこと。
虐殺の記憶もまだ生々しいルワンダからも代表が来ていた。
今日は、その会議(ワークショップ)の成果発表ということだった。

大国が力をふるう世界の趨勢の下、
小国から次の世界への変化が始まる、ということはありうる。

ただ…。

ど~~~も僕は、いわゆる”スピリチャル系”の擬似宗教的な雰囲気が苦手で、
すべてとは言わないが、そういう要素は散見しなかったというと、嘘になる。

いや、でも、どんなものでも始まりは小さいし、
雑多な要素が混在したところから可能性の芽が出るのだし…。

とも思うが、
日本の平和運動は、抽象的・概念的・宗教的な物言いになりがちな傾向が
これまでどうしてもあったと思う。

それもある意味で無理は無い面もあって、
原爆のような巨大な痛みは言語化するのが困難で後世に伝わりにくく、
また戦後アメリカ側の支配のための都合と、日本の権力者の保身とで、
アジアへの加害については十分検証されず、
国民は生きるのに精一杯で、しばらくはすべてを忘れてしまい…
とかなんとか。

理由はどうあれ結果的に、
加害の記憶も被害の記憶も、結局、十分には検証できず伝えることもかなわず、
いやそれ以上に、ごく普通の意味での生活の伝統をそもそも
伝え損なってしまい現在がある、というのが日本だと思うのだ。

だからたとえば、
「核兵器も武器も廃絶しましょう」という物言いが、
あまりにも理想主義的な夢物語に見えて、
”金持ち団塊左翼の平和ボケな戯言”と、
怨念を持つ若い世代から、
疎まれ蔑まれる理由も、
全く分からないとは言えない。

そんな気分でスピリチャルな「世界平和希求」の願いを聞いても、
少々複雑な心境になってしまうのは、仕方がないと言うものだ。

その一方で、
世界から集まった代表たちは、
いわゆる先進国から、インド、パキスタン、アフリカの国まで実に様々で(それは良いことだが)
その分だけおかれている状況にものすごい幅があり、
アメリカ代表の若者が語る平和と
いまだ内政が混乱しているアフリカの小国から来た政府関係者が語る平和とが、
同じ現実を土台にしているとは、僕には到底思えなかった。
(そのアフリカの混乱と先進諸国との深~い関係こそが、グローバリズムなのだが)

だがここで僕は、「だから意味がなかった」と批判したいのではなく、
そんなダメダメな世界状況の中、たとえ限定的な、
そして表面的な協力関係しか構築できないにしても、
まだ、この”平和省”という試みには、一抹の可能性があると思っている。

そう思わせてくれたのは、
国際シンポジウムにありがちな、
フワフワした乗りでまとまって、終わって行きそうな雰囲気の中、
コメンテータの伊勢崎賢司(伊勢崎賢治の誤植?未確認です)氏の切り出した、
「急遽発言内容を変えた」、という短いコメントだった。

それはとても具体的で刺激的な発言だった。

彼はおおむね、以下のように述べた(記憶に基づく要約)。
「(いまさっき)ウガンダとフィリピンの代表が述べた日本への期待はとても大きかったが、残念ながら、それは日本への美しい誤解と言うほかない。日本は、完全に違憲行為のテロ特措法を二つ通した。また防衛庁を省に格上げして、中央即応集団を作った。我々(日本人は)平和主義者ではない。だが、日本人はどれだけそれを理解しているだろうか?
 今、アフガニスタンで二つの作戦が行われている。ひとつはISAF(:アイサフ=国際治安支援部隊)で、国連がアフガンの治安を守るため。もうひとつ0EF(:オーイーエフ=「不朽の自由作戦」Operation Enduring Freedom)はアメリカが911以降、NATOと組んで(米、英、日本などの有志連合)、テロリストをつぶそうと言うもの。
 このOEFでアフガンの一般市民に二次被害が出ている。それは、ワールド・トレード・センターで亡くなった3000人を越え(年1000人くらい)、今年すでに400人に達している。これはOEFによる殺人であり、日本はこのOEFに対して給油活動をやっており、直接加担している。
 これを止めずに、平和省など(我々日本人が)語ることなどできない。」

 厳しいが真摯な発言だと思う。
 日本は、テロの抑止ではなく、テロの報復に加担している。
 しかも、インド洋上の給油は、もしかして(いやほぼ確実に)イラク戦にも転用されているらしい。911テロとは無関係な、国際的にも大儀なきアメリカの侵略に手を貸してしまった日本。それなのにベトナム戦争当時のほどにも日本人には自覚がない。この目の前の事実をすっとばして、夢のような理想的平和について語るというのは、いかがなものか、というちょっとした爆弾発言だったのだが、これは他の国のシンポジスとよりも、聴衆である日本人に向けられた言葉だったろう。

 平和省運動が、”省”という政府機関を創設しようという動きであるなら、理想は理想で大事だが、世界の実情、そして日本なら日本の実情をよく見、具体的というか、地に付いた試行錯誤もしなければならないように僕は思う。
 ひとつの国家機関を創ろうというなら、環境省がいい例だが、「それはあって当然、絶対に必要」と、その国民のほとんどが思う必要があるし、現実にどんな役割を行うかより具体的なヴィジョンが求められるだろう。

 理念に向かって、どんな具体的な一歩が描けるか。そこをすっとばしてスピリチャルだけになってしまうのは、困る。世界の極端な格差を考えると、共通の理念が多少抽象的にならざるを得ないのは理解できるが、具体的に動ける国の市民こそが現実を見ないと…。
 良くも悪くも、矛盾が露呈したシンポジウムであった。

 以上、個人的な感想と報告である。
スポンサーサイト

コメント


コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://yukky0ape.blog62.fc2.com/tb.php/52-b691c362

地球 外殻 =}}地球(ちきゅう)は、太陽系の惑星のうち、太陽に3番目に近いものである。太陽系の中では岩石質の「地球型惑星」に分類され、その中で大きさ、質量ともに最大のものである。放射性元素による隕石の放射年代測定|年代測定により、誕生してから約46億年経過して

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。