講談社現代新書の一冊。

東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンで、
国連の仕事として実際に武装解除を試みた経験をもとにつづられた本だ。
2004年の出版なので、アフガンなどはすっかり状況がまた変化(悪化?)してしまって、
一部過去のことになってしまっているのは、いたしかたない。
内容はとても示唆に富んでいるばかりでなく、
この人の出自も含めたキャラが見えてきて、おもしろい本だった。
早い話、伊勢崎氏は”机上の空論”が嫌いなのだ。
さて、
アメリカ帝国の尻をナメながらここまで来た日本だが、
この先同じ方針で行くのかどうか、選択の時が迫っている。
このまま行くなら、軍事の問題だけでなく、
すべての社会機構がアメリカの都合で決められた、
現在の路線を行くことになる。
だけど、地域の文化も人のつながりもズタズタ。
食料の安全保障も無い。
日本はすっかり様変わりしてしまった。
国民の貯金は外資の好きなように運用され、
格差、というより、貧困層の増大が放置されたまま、
セーフティ・ネットも、おざなりな”自由社会”になっていっている。
参院選で自民が負けたように、
もしも、そういう方向性が嫌だと国民が思っているのなら、
では、どういう方向に舵を切らねばならないのか?
その中に、安全保障の問題は当然入ってくるし、
国際貢献、平和構築などの活動の重要性も本当は増している。
ところが言うまでもなく、軍隊というものは、
誰がどう使うかで、銃の向く先から何から全部変わるのだから、
アメリカの言いなりに戦争するために軍隊が使われる可能性だって、たしかに十分にある。
そう意図している人たちがたくさん国内にも跋扈しているだろうとも思うし。
では、それと別な選択は、理念としての戦争放棄だけでなく、
実際の軍備の放棄も行うことだろうか?
国内ではこのあたりの議論が、解離したままの状態だ。
伊勢崎氏は、このような日本の抽象的平和論争を”神学論争”と呼ぶ。
現実の世界には関係ないオハナシ、という意味であろう。
いつかは武力によらない紛争解決の世界が来てほしいけれども、
現状がそうでないことは確かで、
そういう現実を見つめた時に、
どういう方向性に、どのような段階を踏みながら進んでいけばいいのか。
具体的に考えないと、”神学論争”のままでは何も変わらない。
しかし一方では、何も舵を切らないと、
日本列島全体がアメリカの軍事基地のように使われ、
自衛隊も(名前はどう呼ぼうと)アメリカの手先をずっと続けなければならないだろう。
んんん、この分野、学びはじめてまだ知見が浅いので、
うまくまとまらない。
スンマセン。
感想の域を出ない文になってしまったが、
この本を読んで、前より少〜しだけ具体的に考える材料をもらった気がする。
オススメ。



